萬狂言
九州を中心に活動する福岡在住の和泉流狂言師、野村万禄。人間国宝の故六世万蔵の孫にして、50年ぶりに再興なった万蔵家の別家、万禄家の当主である。その舞台を今まで十数回は観てきたように思うが、今回の舞台には微妙な変化がみられた。
萬狂言福岡定例公演(6月6日 福岡市、大濠公園能楽堂)「素袍落」を演じる万禄は笑いに引き込む間合いがよく、余裕が感じられた。これまでは一本気で誠実な人柄は伝わってくるものの、力み過ぎの感が否めず、軽み(かろみ)や人間臭さが醸し出す狂言独特の空気感が薄かった。
古典芸能なるもの、新作を作らない限りは同じ演目を何百年と続けており、囃子が入らない狂言では演者がすべてを差配していると言ってもよいだろう。その表現力がどれほどの高いレベルで求められているか、察するに余りある。
万禄は口跡の良さもあってか、語り口が現代語のようにも聞こえて笑いを誘う。愚痴を言いつつ酒を飲むといった普遍のシーンでも、主筋の長老に対し、酔って心を許し過ぎている様が愛嬌に見えるには、演技の品格が必要。一皮むけた万禄にそれを見た舞台であった。
「萩大名」「素袍落」「千切木」と古典が続く演目で、多くの狂言師が登場して楽しませてくれたものの、萬、万蔵の卓越した演技は大きく心に残るものだった。それは「型」、瞬間で決める型。扇を振り上げた様や棒を構えた様の止めの姿が美しい。笑いに包まれドタバタと動きのある中で、動じない一瞬の静の存在が心地よい緊張につながる。萬狂言の中心を担う二人の型の佳さに伝統の力と意義を再発見しつつ、常の暮らしの中にも「型」をとりいれてみたいと思ったものだ。
築城則子・染織家
2009年6月19日
朝日新聞夕刊 掲載