萬狂言

 「古くて新しい」を提唱し、実験的舞台を試み続ける一方で、古典を美しく守り伝えようと、2000年に八世万蔵(五世万之丞)が命名した野村万蔵家一門の「萬狂言」。
 6月28 日、大濠能楽堂(福岡市)での公演を観ながら、4年前の6月、44歳の若さで急逝した五世万之丞を思い出していたのは私だけだろうか。優れた狂言師であるのはもとより、壮大なスケール感で様々な公的イベントを企画構成し、古今東西の芸能にも通じる理論家でもあった。
 彼の出現により、狂言という分野はどれほど変化するのだろう、と期待していた矢先の突然の死。父、萬はじめ一門の嘆きは、いかばかりか察するに余りある。
 が、彼は生きていた、萬狂言の中で、舞台の中で。
 「重喜」「空腕」「六地蔵」どれも古典の名作だが、とても新味を感じる舞台になっている。まず、テンポが良い。せりふの掛け合いの間がいいので、ずんずんと物語に引き込まれていく。
 それに、多少せりふを変ええているのではないだろうか、現代語に置き換えてわかりやすくしているように見受けられた。若い観客が声をあげて笑っているのには、仕掛けが隠されているはずだ。仕草は、おかしみの中にも安定感に満ち、足運びの確かさが心地よい。
 時間を忘れさせてくるような古典芸能にはめったに出会えるものではない。萬の存在感と品格の高さは圧倒的であり、九世万蔵の現代における狂言的なるものへの挑戦ともとれる演じ方には共感を覚えた。万禄の熱演、太一郎の一本気な若さ、萬狂言の面々に脈々と連なる精神は、狂言の様式美を踏襲しつつも「今」という時代と重なり、響きあっていた。

築城則子・染織家
2008年7月4日
朝日新聞夕刊 掲載